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昔住んでた家の近所のこと

1 :日本昔名無し:04/07/05 17:43
むまっ

2 :日本昔名無し:04/07/05 18:06
2ゲット

3 :日本昔名無し:04/07/06 00:14
私が入社して3年間住んだ寮は、阪急今津線のとある駅から徒歩20分くらいのとこにあった。
駅舎の西口を出ると山手の住宅地、大阪のサラリーマン世帯の住いが山沿いまで続いていた。
地勢的には西に六甲山系が迫り、東に向って緩やかに下る傾斜地に当っている。
寮への道は築年数がそこそこ経った住宅地を貫いて、次第に勾配を増して行く。
段々畑の様に連なる家並みは、地形の起伏に沿っても曲がり道も曲がる。
道が大きく左に回り込んだ所に、児童公園があった。その奥に祠の様なものもある。
左の繁みからこずえが車道に伸び、右下は宅地を見下ろす崖である。
その先はT字路で正面に何処かの私立高校の記念館があり、明治の洋館造りを思わせるレトロな建物だった。
そこを右に折れると今度はY字路、分岐の角に赤いボンボリの下がった交番があった。
左に進むとまた上り坂となり、右手の見晴らしが良い崖上の道を行く。
やがて左手に寮の門が見えてくる。門柱だけあって扉はなく、会社名の照明看板が外灯代わりに立っていた。
門を入った左側は入寮者の駐車場で、70台分ほどスペースがあった。
寮の建物は少し高い地盤に建っており、その駐車場を見下ろす恰好で寮棟(南棟)が伸びていた。
階段を上がって玄関に着くと、ガラスドアの向こうに10m四方ほどのフロア。
入って右手の壁に各人の郵便受け、正面に掲示板と何かの絵と社是の額縁、左手が寮内への上がりがまち。
掲示板の横に下足室への通路があり、入寮者は上がりがまちを使わず下足室を通って寮に入る。
下足箱は上下2段(上か下があたる)で靴4足くらいと傘などを入れられた。

4 ::04/07/06 00:15
つづき
下足室を通っても管理室前のロビーに出る。ロビーにはソファーがあり公衆電話や自販機などもあった。
ロビーの奥に食堂があり、厨房を隔ててランドリー室、更に奥に浴場があった。
寮棟(住居棟)は南北2棟からなり共に4階建て、当然個室で110室あった。
寮全体としては「コの字」型で、南棟と北棟が平行に建ちその間を共同棟(ロビー・食堂・浴場など)が繋ぐ様な配置だった。
南棟は下足室の前、管理室の横から伸びる廊下で繋がり、北棟は食堂の先の廊下で繋がっていた。
階段だけでエレベーターは無かった。各棟は北面に廊下が走り、各寮室のドアだけが並んでいた。
部屋以外は全館Pタイル張りで漆喰の壁、学校の様な感じの仕上げで特に廊下などはガランとして寂しい印象。
寮室のドアには室番と入居者の名前、在室かどうかを示す差し替え式の札があった。
部屋はワンルームで10畳ほど、カーペット敷きでセミダブルベッドと折りたたみ机が付いていた。
玄関脇に便所(洋便器)、クローゼット、部屋側の板敷きにミニキッチン(流しとコンロ台くらい)があった。
窓は南に面していたがベランダは無かった。個別エアコンはあり、外線直通の電話ジャックもあった。
さしずめ、ビジネスホテルのシングルルームくらいか。そこに適当に本棚とかタンス、テレビなどを持ち込んで住処とする。
寮の門限は一応PM11時で、遅くなる時は電話を入れたうえ暗証番号で開く裏口から入った。
食堂では朝御飯と晩御飯が出たが、晩御飯はその日の朝に申し入れるとキャンセルできた。
その場合、ロビーの在・不在を示す名前ボードに「欠食」と書いたマグネット札を貼った。
入寮者には大阪市内のオフィスビルに通勤する人(営業・事務系)や、近郊の工場に通勤する人(メーカーだからこちらが主力)もいる。
各々寮を出る時間は若干ずれるが、おおむね朝食は同じになる。下足室もそこそこ混雑し慌しく玄関を出て行く。
マイカーがある人も、ほとんどは歩いて阪急今津線の最寄駅まで向う。

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